New Wave 〜 Post Punk Rock

1978年ロンドン・パンクのムーブメントを牽引していたSEX PISTOLSからジョニー・ロットンが「ロックは死んだ」と言って脱退。


ロンドン・パンク初のアルバムをリリースしたダムドもラット・スキャビーズなど相次いで主要メンバーが脱退し1978年4月に解散。
1976年からロンドンで始まったパンク・ムーブメントは1978年には急速に失速していった。

UK PUNK ROCK https://ukrock1977.work/category/27563529-1.html

ロンドン・パンクのミュージシャンやそれを支持していたパンクスは、既に成功を収めていたクイーンやZEPP等の大物アーティスト達を産業的な物としてやり玉にあげ批判、否定していた。








それは、オイルショック等で社会的に閉塞し、失業者を多く抱えていたイギリスの状況や、グラム・ロックも収束し新しい音楽的な刺激を求めていた若者に共感を呼んだ事だろう。

実際はそれ自体が大きな矛盾を抱えていた。
彼ら自体が売れることが、彼ら自身が批判していた大物ミュージシャンになるという事だった。

※クラッシュ、ポリス(スティング)、ジャム(ポール・ウェラー)は、パンクムーブメントが収束していく中でも音楽的に変化し、ムーブメントを牽引していたSEX PISTOLSが成功できなかった米国でも成功を収めていく。

ところが、78年にジョニー・ロットンがジョン・ライドンと本名を名乗りPIL(パブリック・イメージ・リミテッド)を結成、活動を始めた頃にはパンク・ロックの破壊的な初期衝動ロックン・ロールとは明らかに違う様々なロックバンドが登場していた。

ジョイ・ディビジョン、ザ・キュアー、BAUHAUS、JAPAN、U2、その後にニューロマンティックと呼ばれるムーブメントの中にいたアダム・アンド・ジ・アンツ、デュラン・デュラン、ヴィサージ等だ。

ニューロマンティック・ムーブメントについては、別途書いているためここでは触れないが、バウ・ワウ・ワウやアダム・アンド・ジ・アンツには、マルコム・マクラーレンが結成等に関わっていたことから、ある意味70年代後半のパンクから80年代の前半までは彼の思惑が成功していたと言えるだろう。

NEW ROMANTIC MOVEMENT https://ukrock1977.work/category/27564167-1.html

しかし、パンクに影響を受けたニュー・ウェイヴのミュージシャン達は、音楽的にはロンドン・パンクとは異なっているものの、精神的にはパンクの影響を受けていて産業ロック化することを拒みインディー(ズ)・レーベルと呼ばれる自主制作、マイナー・レーベルが設立されていった。

THE SMITHSもニューロマンティックが収束していく中でインディー・レーベルの「ラフ・トレード 」から登場するが、後の英国のTOPバンドがインディー・レーベルから発売されるという事には、そういった背景があったと言えるだろう。

それでは、New Waveを代表するPIL、キュアー、JAPANからポスト・パンクと呼ばれるTHE SMITHS、そして世界的なロックバンドとなったU2まで見てみよう。

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■PIL




今回はロックシーンに多大なインパクトを与えたパブリック・イメージ・リミテッド(通称ピル:PIL)。

セックス・ピストルズを脱退したジョニー・ロットンは、本名のジョン・ライドンと名乗るように。

1978年ジョン・ライドンは、ジャマイカで休暇を過ごした後、初期のクラッシュのギタリストであったキース・レヴィンや、ジャー・ウォブルに声を掛けて新バンドを結成。







そもそも、ライドンからすると、ロットン(腐った)という芸名!?自体気に入らなかった様で、自分の抜けたピストルズが腐って行くのを横目で見て、お前らがロットンなんだよと思っていたとの事w。

さて、ピストルズ自体はイギリスにおいて策士マルコム・マクラーレンの販促戦略もあり成功はしたものの、彼自身は散々な思いをしたので自分でコントロールできるバンドを作りたかったのだろうと思います。

彼は、雑誌のインタビューで本質を突く事を語っていました。(ロッキング・オン ROCK GIANTS 80’より)

●マルコムとしちゃあ、机にふんぞり帰って電話かなにかで尊大に振る舞っていればそれでよかったんだから、こんなボロいことってなかったろうよ。『どもども、私たちはトラブルメーカー、売りはバイオレンスでっす』とか売りこんでりゃあいいわけだ。

でも、そのバイオレンスを現実に生きて、ぼろ雑巾のようにされていたのはこの俺なんだからな。」

■アルバム
・パブリック・イメージ - Public Image: First Issue (1978年)
・メタル・ボックス - Metal Box (1979年)
・P.I.L.パリ・ライヴ - Paris au Printemps (1980年)
・フラワーズ・オブ・ロマンス - The Flowers of Romance (1981年)
・ライヴ・イン・TOKYO - Live In Tokyo (1983年)
・ジス・イズ・ホワット・ユー・ウォント - This Is What You Want... This Is What You Get (1984年)
・ALBUM (1986年)
・HAPPY? (1987年)
・9/ナイン (1989年)
・グレイテスト・ヒッツ・ソー・ファー - The Greatest Hits, So Far (1990年)
・ザット・ホワット・イズ・ノット - That What Is Not (1992年)
・Plastic Box (1999年)
・Live at the Isle of Wight Festival 2011 (2011年)
・ディス・イズ・PiL - This Is PiL (2012年)
・ロックパラスト1983 - Live at Rockpalast 1983 (2012年)
・ホワット・ザ・ワールド・ニーズ・ナウ - What The World Needs Now (2015年)
・The Public Image is Rotten - Songs from the Heart (2018年)

1978年12月ファーストアルバム「PUBLIC IMAGE」をリリース。


そのサウンドは非常に斬新であり、セックス・ピストルズ※のようなハードなR&Rを期待するファンは裏切ることになりましたが、まさにその後のニュー・ウエーブを象徴するような画期的なものでした。
https://ukrock1977.work/category/11483614-1.html

Anarchy In The UK (Live)





結果的に、セックス・ピストルズでその当時のイギリスのロックシーンを一度破壊し、PILのこのファーストがその後のニュー・ウエーブ〜ポスト・パンクシーンを作る種を撒いたと思います。

Singles: 1979-1983, Volume 2




そもそもピストルズがNYドールズ後期のマネージャーだった、マルコム・マクラーレンがアメリカのNYパンクに衝撃を受けてイギリスに戻り自国でもパンクを流行らせようと画策したバンド。

Too Much Too Soon



マルコムの奥さんであったヴィヴィアン・ウェストウッドの破壊的なファッション。(その当時の話)

Vivienne Westwood ヴィヴィアン・ウェストウッド 財布 DERBY 長財布 ポシェット ショルダーウォレット 51050026 NEW EXHIBITION 18SS




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バイオレンスな歌詞。しかし曲自体はポップでキャッチ―であり、徹底したスキャンダラスなイメージ戦略や実際のメンバーの破壊的な言動で噂が噂を呼んだ・・・

ある意味非常に商業的な意味合いが強かったバンドであった。

ライドン自身はアメリカでもピストルズの成功を望んでいた。
しかし、実際はツアーでもメンバーは麻薬中毒やら何やらでロクすっぽまともに演奏できない事や、実際に暴行の被害に合うなどライドンからすれば、やめたくて仕方がない状態だったのでは。

The Sex Pistols Invade America: The Fateful U.S. Tour, January 1978




Twelve Days on the Road





ただし・・・彼はマルコムの創造を遙かに超える才能とカリスマ的な存在感を持っていた。

でなければ、、あんな歌詞は書けないし、カリスマ的な人気も出なかった。さて話をPILに戻すと、特に初期のPILは強烈なインパクトを持っていた。

初期の頃のPILの写真集。



1979年にはセカンドアルバム「Metal Box」を発表。
当時、缶入りのレコードは非常に斬新なアイディアであり話題となりました。

またその中身も、非常にインパクトのある作品となっていました。
ジャー・ウォブルのうねるベースに、斬新なキースのギター、そこに絡むジョン・ライドンの不思議なボーカル・・

メタル・ボックス(セカンド・エディション)




Metal Box






「P.I.L.パリ・ライヴ」PILの初期のライブアルバムで、ライドン、キース、ウォブル、アトキンスというラインナップでは唯一のものとなります。

1981年「Flowers Of Romance」をリリース。
ドラムが暴れまくり、その上に呪術的なライドンのボーカルが漂い病的なギターが被さったようなサウンドは、非常に実験的で面白い作品。

P.I.L./パリ・ライヴ




フラワーズ・オブ・ロマンス(紙ジャケット仕様)






初来日公演の作品。ライドンのバックの看板が「カメラのさくらや」。

ライヴ・イン・TOKYO




ライドンとレヴィンは「Commercial Zone」を完成させますが、意見の対立でリリース直前にレヴィンが脱退、アルバムはお蔵入り・・
(キース・レヴィンの自主制作盤として発表)
1984年に「This is what you want, This is what you get」を発表。ヒップ・ホップが導入。

Moments Lost (C) Commercial Zone 2014 (feat. Kathleen M. Bonczyk)




This Is What You Want This Is What You Get





結果的にPILはロック・バンドというよりも、ライドン中心の流動的なプロジェクトとなっていきます。

1986年あのスティーブ・ヴァイ、ジンジャー・ベイカーや坂本龍一を迎えて「Album」を発表。レコードには「Album」ですが、CDでは「COMPACT DISC」となかなか洒落たタイトル。

album




Compact Disc





1987年「Happy?」を発表。元マガジンのジョン・マッギー、元ポップ・グループのブルース・スミスを迎えた作品。

1992年ハード・ロックよりのサウンドアプローチの「That What Is Not」を発表。
このアルバムを最後に活動を休止していましたが2009年12月にイギリスツアーで活動を再開。

Happy?/ 2011 Remaster




ザット・ホワット・イズ・ノット(紙ジャケット仕様)





9/ナイン(紙ジャケット仕様)





グレイテスト・ヒッツ・ソー・ファー(紙ジャケット仕様)




Plastic Box





2011年ライブアルバムをリリース、そして2012年・・・なんと1992年以来20年振りに新作をリリース!

「ロックは死んだ」という名言を吐いた、ライドン自身は・・怒れるオヤジとしてまだまだ死なない。シブトイッ!

Live at the Isle of Wight Festival 2011




This Is Pil , from UK)






Live at Rockpalast [DVD] [Import]




What the World Needs Now




PUBLIC IMAGE IS ROTTEN




■関連書籍等
ジョン・ライドンの自伝。パンク、ニュー・ウエーブ/ポスト・パンク期の裏側が垣間見れる快作。
「楽しんでくれよ、さもなきゃくたばっちまえ。」ライドンの序文より。

Still a Punk: ジョン・ライドン自伝




Anger Is an Energy: My Life Uncensored






Rotten: No Irish, No Blacks, No Dogs




ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984






rockin'on ロッキング・オン 1982年 11月号




パブリック・イメージ・リミテッド - ライブ・アット・エンモア・シアター、シドニー





ライドンのHP
http://www.johnlydon.com/jlhome.html

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■The Cure

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1970年代の後半から現在まで続いているバンドは、極めて稀。

もともと演奏力が乏しく、センスやアイデア勝負だった地点から出発しているバンドが大半であったため、結局は淘汰されて長続きしなかったという点も大きいと思います。

ローリング・ストーンズのように、1960年代に登場して現在も現役のバンドは別格としても、セックス・ピストルズはアルバム1枚発表して解散していますし、クラッシュも10年間位の活動でした。そういえば、ダムドは解散はしつつも、メンバーを入れ替えながら未だ現役ですね。

しかし・・このバンドは、むしろ逆で年月が経るほど表現力をましていき、イギリスのカルト的なバンドがやがて、アメリカや南米でも大人気となっていきました。

まさにパンク・ムーブメントの1976年、ロンドン郊外のサセックス州クローリーで、ロバート・スミスによってキュアーの前身バンドである「イージー・キュアー」が結成されました。

イージー・キュアーは、ドイツのレーベルであるアリオラ・ハンザと契約しましたが、タイミングが悪くその頃レーベルは、JAPANの売り出し中で折り合いがつかずレコードも発表できないまま契約を解消します。

1978年マイケル・デンプシー、ローレンス・トルハーストの三人でキュアーとして活動を始めます。

■アルバム
・1979 Three Imaginary Boys
・1980 Seventeen Seconds
・1981 Faith
・1982 Pornography
・1984 The Top
・1985 The Head On The Door
・1987 Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me
・1989 Disintegration
・1992 Wish
・1996 Wild Mood Swings
・2000 Bloodflowers
・2004 The Cure
・2008 4:13 Dream

1979年にシングル「Killing An Arab」をリリース。同年5月には、デビューアルバム「Three Imaginary Boys」をリリース。
(ローレンス・トルハーストは、後にレッド・ツェッペリン解散後、ペイジ・プラントのサポートギタリストとして活躍していました。)

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マイケルがグループを脱退し、サイモン・ギャラップ(b)とマシュー・ハートリー(Key)の二人が加入してセカンドアルバム「Seventeen Seconds」をリリース。
このアルバムからシングルカットされた「A Forest」は全英チャート入りする初めてのヒット曲となりました。

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1981年、「Faith」をリリース。ポスト・パンクシーンの中で着実にファンを獲得していきました。

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1982年の4作目(日本でのデビュー作)「Pornography」をリリース。
シンセサイザーを活用した、色彩感覚溢れるサウンドにより、全英チャートのトップ10入りを果たします。

Pornography

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当時ロバート・スミスはスージー・アンド・ザ・バンシーズでも活動しており「ノクターン」「Hyaena」の2枚でギターをプレイしている他、バンシーズのベーシスト、スティーヴ・セヴェリンとグローヴの活動も並行している。

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一方キュアーでは、日本発の企画盤「Japanese Whispers」をリリース

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1984年 アルバム「The Top」をリリース。
同年には、中野サンプラザと大阪サンケイホールにて初来日公演が行われました。
10月にはツアーを収録したライブ・アルバム「コンサート」をリリース。

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コンサート~キュアー・ライヴ

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1985年アルバム「The Head On The Door」をリリース。
このアルバムはかなりの力作で、世界進出の足がかりとなりました。

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1987年「Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me」をリリース。
このアルバムはバラエティー溢れる内容で、「ジャスト・ライク・ヘブン」のようなキャッチーでPOPな曲も含まれており、世界中でヒットを記録しました。

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1989年「Disintegration」をリリース。内容は原点回帰ともいえる美しくも陰鬱とした内容でしたが、なんと・・全世界で300万枚を売り上げる大ヒットを記録し、キュアーはスタジアム級のモンスターバンドとなりました。

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1992年アルバム「Wish」をリリース。
全英1位、全米2位と大ヒットし、世界的なトップ・バンドとなりました。
サウンドは、陰影に富んだキュアーならではといった部分も多いのですが、ドラマティックな展開で、リズムが強調されたことで、さらに曲にインパクトが増した感があります。

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1996年「Wild Mood Swings」をリリース。
キュアーに似つかわしくない?かわいいジャケットの写真にやや違和感を覚えましたが・・
サウンドも重苦しい感覚が無くなり軽やかな感じに変わりました。

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2000年「Bloodflowers」をリリース。
レコード会社は「ラストアルバム」として売り出しましたが、なぜか・・?解散はしませんでした。(売上が好調だったからか!?)

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2003年ライブDVD『Trilogy』をリリース。
これまでの集大成ともいえる内容です。

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2004年バンドの名前を冠したタイトルのアルバム「The Cure」をリリース。子供の落書きのようなジャケットが印象的ですが、その内容は「Wish」に匹敵する強烈なインパクトがある作品となっています。

Cure

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2008年アルバム「4:13 Dream」をリリース。
ちなみにロバート・スミスは、年々とかっぷくの良い体型となっているような・・

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ステアリング・アット・ザ・シー〜シングルス




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Bestival Live 2011





■映像

ザ・キュアー:ロック・レジェンズ




■関連書籍、バンドスコア等

Album College Rock: Kiss Me, Kiss Me, Kiss Me, the Cure, Surfer Rosa, Disintegration, Louder Than Bombs, Japanese Whispers, Bloodflowers

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■JAPAN

Quiet Life




1975年英国でデヴィッド・シルヴィアン、スティーブ・ジャンセン、ミック・カーンにより結成。

■アルバム
・1978年 Adolescent Sex
・1978年 Obscure Alternatives
・1979年 Quiet Life
・1980年 Gentlemen Take Polaroids
・1981年 Tin Drum
・1983年 Oil On Canvas

元々仲の良い高校の同級生のデビッドとミック、そこに相性のよかったデビッドの実弟スティーブの3人でバンドをやろうという話になり、まもなく同じ高校だったリチャード・バルビエリが一緒にバンドをやりたいとキーボーディストとして参加。

面白いのは、学校では同級生ながら、あまり話した事も無く、リチャードはきちんと就職していたのですが、たまたま出会った際にバンドの話しをした所、仲間に入れてくれという流れになった様です。

バンド名は、バンド名を考えていた頃にたまたまTVで日本の番組を見る機会があり興味を持ちジャパンと思い付きでつけた様ですが、プロデビュー後にいきなり日本で爆発的な人気を獲得した事や、その後も日本や日本のミュージシャンと縁が深かった事を考えると運命的なバンド名だったと言えるでしょうね。

元々、ミック、デビッド、スティーブの3人はデビット・ボウイの大ファンだったようですが、バンド結成時NYドールズにデビットとスティーブはハマっていたらしく…其れを考えると、もしかするとシルヴィアンという名前は、ドールズのシルヴェインをもじったのかも…です。本名は、デビット・バットなんで。

David Bowie: The Man Who Fell to Earth (Bibliotheca Universalis)




New York Dolls





さて当初は、ミックがボーカルとして活動を考えていたのですが、アマチュアとして最初のライブでミックがあまりに緊張して歌え無いから変わってくれ…という話になり、デビッドがボーカルに。スティーブは最初からドラムだったようです。

1976年メロディー・メイカー紙にギタリストのメンバー募集広告を出したところ、それを見て応募してきたロブ・ディーンが加入。

そして同年にドイツのアリオラ・ハンザ・レコードと契約。1978年に「Adolescent Sex (果てしなき反抗)」でデビュー。

Adolescent Sex




日本ではその強烈なビジュアルからかレコード発売以前から異常な反響をよび、9月の発売当日には1日だけで1万5千枚という驚異的なセールスを記録。

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(写真は、ロッキング・オン 1978年11月号表紙)
また同年にセカンドアルバム「Obscure Alternatives (苦悩の旋律)」を発表し、初来日でいきなり武道館での公演を行うなど、爆発的な人気を誇りました。

Obscure Alternatives




一方、英国では日本の盛り上がりとは反対で評価が低くなかなか人気が出ませんでした。

ミュージック・ライフ1979年3月号に、来日直前の東郷かおる子さんのデビへのインタビューが記載されており、面白い内容なので、一部、転記させて頂きます。

○今回のインタビューは、あなた自身のことも含めて、ジャパンの音楽についても色々と聞きたいんだけど、えーと、あなたは今21才だっけ?22才?

●20才だよ。

○20才!ずいぶん若いのね(と、こちらはしばし絶句)

●なにに対して若いの?(こちらをチョッとにらむ)

○20才だなんて、まだ人生が始まったばかりという意味よ。

●うーん、そうかなぁ、僕にとってこの20年は長かったよ。

○すごく初歩的で、くだらない質問だと思うかもしれないけれど、あなたはどうしてお化粧を始めたのかしら?

●学校へ行っていた時、制服を着なければならなかったから。勿論長い髪もダメ、男の子は男の子らしくというわけさ。そこで、そういう意味のないルールを破るためにメイクを始めたんだ。髪の毛も染めた。

僕のこうした行動は、他の生徒達にも支持されると思ったんだ。ところが彼等は学校側について、僕は追い出されたというわけ。メイクは、僕の表現のひとつなんだ。

○この日本での突然の人気というものを本当にどう思っているの?

●正直いって突然のことでおどろいているよ。いつ頃だったか、僕達のレコードが日本で売れているって聞いてね。それまで日本の市場のことなんて考えたこともなかったんだ。だって僕達のレコードが日本で発売されていることすら知らなかったんだよ。とにかくおどろいてるね。

○あなたが作詞や作曲する時は、どんなふうにして作って行くの?

●歌詞についていえば、すべて印象からだね。ある事柄の印象をひとつのセンテンスにして、その言葉を使って詩を作っていくんだ。

●メロディーはそこにあるのさ。”音楽”そのものが先に浮かんで、それがメロディーになり、歌詞を入れるんだ。だから同時には作らないよ。コード進行に合わせて詩を考えるね。そうじゃなければ、あるタイトルがふっと浮かんで、そこから詩が生まれることもある。


で…このインタビューの同年、1979年のシングル「Life in Tokyo(ライフ・イン・トウキョウ)」を機にエレクトリック路線へ移行。

ジョン・パンタ―をプロデューサーに起用した3枚目「Quiet Life(クワイエット・ライフ)」はクオリティの高いアルバム。
デビッド・シルヴィアンの髪型は、アンディー・ウォーホルに影響を受けたようです。



この頃からデビッド・シルヴィアンの内省的で深みのあるヴォーカルとリリック。
ミック・カーンブーンの超個性的なうねるフレットレスベース、リチャード・バルビエリのイマジナティブで抽象的なシンセサウンド、スティーブ・ジャンセンのセンスを感じる独特のリズムアレンジが見られるようになります。

他に類を見ない個性を確立し、先行して人気のあった日本だけではなく英国本国〜欧州でも評価を高め始めます。
私自身がジャパンを知ったのもこの頃。MTVで「クワイエット・ライフ」の映像を見て、何やらわからないカッコ良さと衝撃を受けました。

クワイエット・ライフ




私自身は、昔のミュージックライフとか結構大切に持っていたりしますが、なんと・・シンコーミュージックさんが「ミュージックライフから見たジャパン」という画期的な本を2018年に出版してくれました。結構高い・・かもですが貴重なので私は購入しました。

もちろん、昔のミュージックライフの内容と被っているのですが、全部持っているわけではないので新たな発見がありましたね。

ミュージック・ライフが見たジャパン




その後アリオラ・ハンザからヴァージンに移籍し、1980年に「Gentlemen Take Polaroids(孤独な影)」、

Gentlemen Take Polaroids




1981年に「Tin Drum(錻力の太鼓)」と立て続けに非常に個性的で創造性に富んだ名作を発表し、英国や欧州でもこれまでにない反響をよびツアーも即完売するほどの大成功を収めます。

Tin Drum




わたしも、「Tin Drum(錻力の太鼓)」は非常に好きなアルバムで何回聴いたかわからないほど・・・繰り返して通して聴いたアルバムでした。

なおロブ・ディーンが5枚目の制作前に脱退したため、最後のツアーでは日本から一風堂の土屋昌巳さんがサポートとしてギターを担当しました。

ジャパン写真集?Japan sons of pioneers




この本は、解散ツアーに同行した貴重な写真集ですね。1982年9月〜12月まで行った最終ツアーに、カメラマン、フィン・コステロが同行し、撮影した写真を集めた1冊です。9月のリハーサルに始まり、欧州、英国、香港、最後に日本ツアー、12月16日名古屋公演をもってJAPANは解散しました。

Oil On Canvas (Remastered 2003) [Clean]




ライヴは1982年にハマースミス・オデオンで行なわれ、土屋昌巳さんがギターとキーボードを担当。

また近年、自身がJAPANファンの作者アンソニー・レイノルズが、メンバー、スタッフ、友達そしてファンからの写真、過去のインタビューや記事を元に書いた書籍が販売されました。かなりのボリュームがあります。1982年に解散したバンドの本が30年以上経過して(約40年)発売されるのも、このバンドの面白いところではないでしょうか。幾つかの伝説的なバンドを除くと余程人気があったバンドでもなかなか出版は困難ではないかと、ましてや出版しても売れるのか??という。買う人って俺か?みたいな。

JAPAN 1974-1984 光と影のバンド全史



解散に至るまでのメンバー達の内に秘められた各々の人間模様、バンドとして解散へと向かう部分は、心を打つものがあります。

JAPAN 1983-1991 瓦解の美学





アセンブラージュ(欧州オリジナル仕様)(紙ジャケット仕様)




ザ・ヴェリー・ベスト・オブ [DVD]





また、1991年には解散時の4人でRain Tree Crow(レイン・トゥリー・クロウ)
名義でアルバム「Rain Tree Crow」をリリースし往年のファンからは「JAPAN再結成か!」と話題を呼びましたが人間関係の拗れからか・・再結成は短命に終わりました。

Rain Tree Crow




■バンドスコア

バンドスコア/ジャパンベスト (バンド・スコア)






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■THE SMITHS



スミスの結成は1982年。オリジナル・メンバーは、モリッシー(Vo)、ジョニー・マー(g)、アンディ・ローク(b)、マイク・ジョイス(dr)。

地元マンチェスターでのライブが話題になり、アズティック・カメラやスクリッティ・ポリッティで有名なインディ・レーベルのラフ・トレードと契約。

■アルバム
1984 The Smiths 
1984 Hatful Of Hollow
1985 Meat Is Murder 
1986 The Queen Is Dead 
1987 Strangeways, Here We Come 
1987 The World Won't Listen 
1987 Louder Than Bombs
1988 Rank 
1992 BEST 1 
1992 BEST 2 
1995 Singles 
2001 The Very Best Of The Smiths 
2008 The Sound Of The Smiths 

1983年非常に美しいギターのメロディラインが印象的なデビューシングル「ハンド・イン・グローブ」をリリース。

それから、スミスの評判は日増しに高まっていき、NME誌の人気投票・新人部門において1位となり、デビューからの3枚のシングルがイギリスのインディーチャートの1〜3位を独占するなど英国で最も注目されるバンドに。

1984年、ファースト・アルバム「ザ・スミス」をリリース。
ジョニー・マーの天才的なセンスのあふれた繊細なギター、モリッシーの独特の声と詩は、英国での人気を決定的なものとなり、英国屈指のロック・バンドとなって行った。

The Smiths



ついでに、ロッキング・オン社が行った1984年5月にモリッシーに行った貴重なインタビューを一部掲載させていただく。
(参考文献:ROCK GIANTS 80'S)

●・・・オーケー、じゃ早速本題に入るけれど、君の歌に出て来る”あなた”は天使だったり悪魔だったりするよね。それは君の無垢を汚す存在であることも、無垢ゆえに君に汚される存在であることもある。

○「それは僕が同じような歌ばかり書かないようにしているからだろうな。極端でない程度のバリエーションを曲ごとに与えるんだよ。

僕は弱弱しい男の声ってのが本当に好きでね。何を聴いてもヘビーでマッチョな、オトコだぞ〜!って声を張り上げてるんでうんざりだったんだ。大体、現実の男がすべてそんな風なわけはないしさ。で、いささか毛色の違う声が出てきてもいいんじゃないだろうか、って思ったんだよ。」

●ポップの最もよくないところは、耳障りなまでに押しつけがましい点だと思うのだけど、君の歌はちょっと違うね。もっと、沈み込んで内を向いた悲しみが漂っているというか、殆どパーソナルなレベルを突き抜けているというか。

○「それはとても大事なことなんだよ。だって、「かわいそうな僕」みたいな歌は本当につまらないと思うからね。でも確かに僕の歌詞には、諦念にも似た純粋で邪気のないトーンがあるけれど、見方によってはひどくひねくれていて、意味などないようにも取れるんだよ。よく、おまえは鼻持ちならん、って手紙をもらうよ。」

●みんなが君の歌を、斬新な形式とスタイルのものだと見なしているわけだけれど、その理由の一つには歌のムードとか、歌われている心境とかが今までにないものだから、ってことがあるよね。どうして君はこんなにメランコリーに浸りきっているんだろう?”リール・アラウンド・ザ・ファウンテン”で歌われているように、君は”大人にならされてしまった子供”なのかな。

○「その通りだと思う。僕はいつでも大きな子供さ。でもこれを言ってしまうと説明過多かもね」

●ジョニーの曲に合わせて詩を書く以前には、ポップにはどのくらい関心があったの?

○「ずっと関わってはきたんだ、僕は今起こりつつあることに対して凄く好奇心の強い方だからね。実にスリリングで魅力的な分野だな、ってずっと思ってはいたんだよ」

「で、スミスを始めた時まず考えたことは、今でこそとても基本的な言葉が使われるべきだ、ってことだった。世の中、物凄く抽象的な言い回しが多いけれど、あれじゃ難しいことなんかよくわからないことなんかよくわからない連中には絶対通じないよ。僕の信念は、最も力のある言葉は最も基本的な言葉だということ。

そして、言うべきなのに全然いわれてないことが随分あると思ったよ。ありきたりのポップのターミノロジーじゃ不十分だと思ったから、未だに使われてない表現を使うことに心を配った。」

「そりゃ本質的な才能の有無は多少関係あるだろうけど、でも才能ってのは、才能を売る才能も必要とするからね。ただギターが上手いだけじゃ、一生ベッド・ルームに埋もれて終わりかねないぜ。自分の持っているものを、人に示す方法を見つけなきゃ駄目なんだよね。」

「そしてもう人が使わなくなった言葉をもう一度取り戻そうという試みでもあるわけ。毎日の生活の中で皆の使っている言葉は物凄く限られていると思うし、それこそ10文字以上の単語なんか使おうものなら凄くスノッブな感じがしちゃう。そういうのは僕みたいな労働者階級出身の人間には扱いきれない」

「僕は、スミスってのはポップ・ミュージックをずっと超えたものだと思ってるんだ。随分生意気な言いようだけど、本当なんだよ。もし僕たちが単にモダン・ポップの一員にすぎないとしたら・・・君とこんな話はしていないよ」

●ジョニーの音楽の、どういうところに惹かれたんですか。

○「彼は凄くシンプルなものを理想としていて、それは当時凄く珍しいことで、しかも僕ら二人がやりたいことの絶対な基本だった。それから奴は仕事が早くて、余分な心配をしなくて、そこも気に入ったね。皆、人のやっていることについて喋るのはたいそう好きだけど、自分で何かやって楽しんでる人間ってのは少ないよね。まあ、これが僕らのバンドの歴史さ。たまたま、いろんなことがうまくいっただけなんだよ。」

●ジョニーが君を引っ張り出してくる前は君は何をやってたの?

○「読書。朝から晩まで読書。子供の頃は本に埋もれて過ごしたんだ。本ってのはあんまり読み続けるとある時点で頭が病気になるんだよ。誰かが来てドアを叩いただけで、そのことについて異常に分析的になったりして。でもまあ、それが今の強力な武器になってはいるよね。あの時期がなかったら、この新しい環境でやっていけなかったと思うし、スミスも、現れては消える普通のバンドにんっていただろう。真面目にそうおもうよ。」

1982〜1984年と言えば、JAPANやカルチャー・クラブ、デッド・オア・アライブ、デュラン・デュラン等が人気がある一方で、ポリス等のパンク・NWから登場したバンドが人気があり、ポジティブ・パンク、ハード・コア・パンクなど様々な面白い音楽が次々に出ていたし、ハード・ロックも非常に人気があった時期と重なる。

僕自身、スミスはその中の一つのバンドとして聞いたし、当初の印象は「全体的なトーンは非常に暗いが、ギターの旋律が非常に美しく頭に残る」といった物だった。

僕自身がギターを弾くので、どうしてもギターに耳が行ってしまうという少々偏った部分はあるとは思うが、明らかにハード・ロックやメタルのギターとも全然違うし、パンクのコードをガンガンかき鳴らすギターとも全く違う・・・

別にトリッキーなギタープレイはしていないし、U2のエッジや、BAUHAUSのダニエル・アッシュの様にエフェクターを掛けまくった独特のプレイをしていたわけでもない。

単純に基本的なギターのメロディ・ラインが、まるで歌っているかの様な美しいラインで構成されており非常に斬新な感覚を覚えた。

当然ZEPPと比較なんて出来ないが、ジミー・ペイジのギター・リフが強烈に頭に残るように、ジョニー・マーの美しい旋律を奏でるギターも強烈に頭に残る。
同レーベルであった、ネオ・アコと呼ばれたアズティック・カメラのロニー・フレイムのギターワークも印象的な物だった。

それとは、また違う強烈に印象に残るギターの旋律を弾いていた。
では、そんなバンドはどの様にして結成されたのだろう?

ジェームズ・ディーンとオスカー・ワイルドを愛し、自閉症的な生活を送りながらNYドールズの大ファンだったモリッシー。NME誌への投稿で地元では割と知られる存在となっていた。

そんな、彼と洋服屋で働きながら曲作りをし、ギターの表現する場を探していたジョニー・マーが出会い、意気投合することから二人の運命が・・・そしてバンドが動き出す。

なんというか、言葉で表現するのは難しいのだがそのボーカルやギターには、ハード・ロックやパンクにある様な、いわゆる音楽的に男性的な攻撃的なマッチョさが無く、詩の意味の深さや、美しいギターの旋律に芸術性が感じられるといえば伝わるだろうか。

そして、彼らが毒々しいメイクで飾りたてることなく、全く自然体であったことも当時としては新鮮だった。
というのは、1980年代からは単純にその楽曲やライブで売っていくというよりも、視覚に訴えかけるためMTVによる映像のインパクトにより売れていくという構図が出来てきたため、パンク・NWにしても、ニュー・ロマンティックにしてもメンバー自身の強烈なビジュアルが前面に出ている物が多かった。

そんな中で、まるで国が支給した様な眼鏡をかけたりもする、自閉症的な生活を送っていた普通の青年が逆に斬新だった。
人気バンドとなっていたという事も後押しし、逆にスタイリッシュに見える気もしていた。
非常に個性的な音楽とスタイルを彼らは提示した。

1985年「ミート・イズ・マーダー」、1986年「ザ・クイーン・イズ・デッド」、1987年「ザ・ワールド・ウォント・リッスン」、「ストレンジ・ウェイズ・ヒア・ウイ・カム」、バンド解散後の1988年ライブ・アルバム「ランク」をリリース。

Meat Is Murder




The Queen Is Dead (Deluxe Edition)






The World Won't Listen




Strangeways, Here We Come




Rank




それ以降は、ベスト盤が発売されたり、コンプリート・リマスターが発売されていく。一番上のコンプリートがリマスター版で音質もよいので入門編にも最適だし、再度80年代の思い出に浸りたい昔のファンにもお勧めだ。

Hatful of Hollow




Louder Than Bombs






BEST OF 1




Best 2






ザ・スミス・ヒストリー




Singles Box






ヴェリー・ベスト・オブ・ザ・スミス(完全生産限定スペシャル・プライス)




Sound of the Smiths: The Very Best of the Smiths





一方個人的には、解散後に発売された「ランク」が一番好きだったりする。
ライブならではの勢いがあり、オリジナルの曲とはまた良い意味で違った印象があり、最後のライブツアーの録音という事もあるのかノリも抜群によいのだ。

「ザ・クイーン・イズ・デッド、ランク、アスク、スティル・イル等々」、より強烈なインパクトを持って聴こえる、ジョニー・マーのギターがより鮮烈にかき鳴らされておりライブの盛り上がりが見えるような印象を持った最高のアルバムだ。

■関連映像

ザ・スミス:ロック・レジェンズ(字幕版)




■関連書籍

モリッシー自伝




モリッシー・インタヴューズ






ジョニー・マー自伝 ザ・スミスとギターと僕の音楽




モリッシー&マー 茨の同盟






グレートロックシリーズ/スミス:モリッシー&マー全曲解説 (グレイト・ロック・シリーズ)




レコード・コレクターズ 2017年 11月号




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■U2

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セックス・ピストルズ、クラッシュ、ダムド、PIL、スジバンなどパンク・ロック、ニューウエーブの代表的なバンド達は、ロック・音楽業界に大きなインパクトを与えましたが、商業的にはパンク以前のZEPやストーンズ等の伝説的なバンドと同様な大成功を収めたわけではありませんでした。

しかし、U2だけは、世界的にも大成功を収め名実ともにロック界を代表するバンドに成長していきました。

初期のパンクやニューウエーブが持っていた、「獰猛な破壊衝動」とはベクトルが違うものの情熱と新鮮さを持ちながらも、段々と洗練された深みのあるアルバムを出し続け80年代後半〜90年代にかけてTOPバンドに昇りつめたといえるでしょう。

略歴
1976年にラリー(Dr)がバンドメンバー募集の貼り紙を出し、集まったメンバーによりU2の前身となるバンドを結成。

メンバーは当初ボノ(Vo)、アダム(B)、エヴァンス兄弟(兄ディック、弟デイヴ(ジ・エッジ))で5人メンバーでしたが、ディック脱退後の1978年に「U2」となりました。

その後CBSアイルランドと契約、1979年に3曲入りEP「U2:3」でデビュー。
このEPがアイリッシュ・チャートで1位となりイギリスのアイランド・レコードと契約を結ぶきっかけとなります。

1980年、スティーブ・リリーホワイトのプロデュースで、ファーストアルバム「ボーイ」をリリース。

新人バンドとして注目を集める存在となりました。彼らのサウンドは、当初からボノの熱い声とメッセージ性、エッジの個性的でユニークなギターが際立っており、他のバンドとは一線を画す個性を持っていました。

Boy (Deluxe Edition Remastered)




1981年セカンドアルバム「アイリッシュ・オクトーバー」をリリースします。

このアルバムはイギリスで25万枚以上売れスマッシュヒットとなりました。ボノの熱い歌が他のバンドと明らかに違う何かを感じさせました。

アイリッシュ・オクトーバー





1983年シングル「ニュー・イヤーズ・デイ」が初のイギリスチャートのトップ10入りをはたし、同年の3月にサードアルバム「WAR」をリリース。

ニュー・イヤーズ・デイ




War (Deluxe Edition Remastered)





イギリスチャートの1位を獲得し世界中で注目を浴びるバンドとなっていきます。人気はヨーロッパ、アメリカ、日本へと拡大します。

11月には、ライブ・アルバム「ブラッド・レッド・スカイ」をリリースし初の来日公演も行われました。
ローリング・ストーン誌は、U2を1983年度の最優秀バンドに選出しました。

ブラッド・レッド・スカイ=四騎=




1984年、ブライアン・イーノとダニエル・ラノワをプロデューサーに迎え、名盤「焔」をリリースします。

私は、このアルバムが非常に好きでどっぷりとアルバムを聴いていました。
サウンドは、プロデューサーの影響が大きいと思いますが、より空間的な広がりと深度を持つサウンドへと変化し、非常に完成度の高い作品となったと思います。

特に、エッジのギターは、このアルバムではイーノの影響からか・・・ディレイ等のエフェクターを効果的に駆使した、空間を感じさせる効果音的な斬新なギターサウンドをアルバム全体に渡って披露しています。

このアルバムもイギリスチャートで1位を獲得。

The Unforgettable Fire (Deluxe Edition Remastered)





そして1987年にリリースした「ヨシュア・トゥリー」は全英・全米ヒットチャートを制覇し、アルバムは全世界で2800万枚以上を売り上げるモンスター・セールスを記録します。

シングル「ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー」、「終わりなき旅」も全米で1位、またグラミー賞最優秀アルバム賞に選ばれるなどまさに世界的なスーパーバンドとなりました。

このアルバムも前作に引き続き非常に完成度の高い作品であり、一曲目のイントロの神々しいシンセサイザー(イーノがそのパートは作ったといわれています)から、最後の曲まで全てが素晴らしい!という感じですね。

ウィズ・オア・ウィズアウト・ユー




The Joshua Tree (Remastered)





1988年には、ドキュメンタリー映画「魂の叫び」を公開し、同名のアルバムもリリースします。


U2 魂の叫び [DVD]




魂の叫び





前作と打って変わってアメリカのルーツ・ミュージックに傾倒し、ブルースやゴスペル、ソウル・ミュージックなどの要素を取り入れたアメリカ色の濃い作品となりました。

B.B.キング・ライヴ・イン・ジャパン




ソングス・オブ・ゴスペル・ミュージック





1991年、アルバム「アクトン・ベイビー」、1993年「ZOOROPA」をリリース。アクトン・ベイビーは世界中で1700万枚以上を売り上げ大ヒットとなりました。

アクトン・ベイビー




ZOOROPA





1997年の「ポップ」をリリース。
2000年プロデューサーにブライアン・イーノとダニエル・ラノワを再び迎え、「オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド」をリリース。再び、一曲目から熱いサウンドを聴かせてくれました。「ビューティフル・デイ」は、大好きな曲で繰り返し聴いていましたね。

ポップ




オール・ザット・ユー・キャント・リーヴ・ビハインド




ビューティフル・デイ




2004年、アルバム「ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム」ではスティーブ・リリーホワイトもプロデュースに復帰し初期を思わせるサウンドと、1990年代のスタイルを織り交ぜたロック・サウンドの作品となりました。
また、全446曲入りの究極のアルバム「ザ・コンプリートU2」を、iTunes Music Store限定でリリース。

ハウ・トゥ・ディスマントル・アン・アトミック・ボム (DVD付 初回限定盤)




2008年「Vertigo Tour」を収録した3D映画「U2 3D」を公開。
2009年「ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン」をリリース。なかなかの力作。

2005 Vertigo [DVD] [Import]




ノー・ライン・オン・ザ・ホライゾン





2014年iTunesでの無料配信で物議をかもした「ソング・オブ・イノセンス」
2017年「ソング・オブ・エクスペリエンス」をリリース。また同年1987年にリリースされた「ヨシュア・トゥリー」の30周年記念ツアーを実施

Songs Of Innocence (Deluxe)




Songs Of Experience (Deluxe Edition)





U2 ソングス




バンド・スコア U2・ベスト[ワイド版]




CROSSBEAT Special Edition U2 (シンコー・ミュージックMOOK)




posted by autmaticmode at 18:07 | New Wave 〜 Post Punk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする