米国人のロッカーから、「CBGBは?」という様な意見もTwitterのDMであったので、今回ニューヨークパンク。
「UKロック」って書いてるだろう、、というのは一旦横に置いておく。
実際は、ロンドンパンクの背景としてニューヨークパンクについてもそれなりに書いているが、余程熱心に見ている人でなければ読んでないだろうし、新たに書いて見ようと思った。
さて、テレヴィジョンを生んだニューヨークには「パンク」という言葉が存在する以前から、アート感覚と実験精神を持った独特のアーティストが存在し、独自の文化や土壌があった。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドが一番わかりやすいアーティストだろう。
POPアートで有名なアンディ・ウォーホル、バナナジャケット、実験的なサウンド、ノイジーなギター。
その他、デビッド・ボウイとも繋がりが深くベルリン3部作と呼ばれるアルバムを作っていた当時、ボウイの隣の部屋に引っ越し住んでいたと言われるイギー・ポップ(ザ・ストゥージズ)の暴力性やインパクト、モリッシーがファンクラブをやっていたとされるニューヨーク・ドールズ(パンクというよりも米国のグラム・ロック、R&Rバンドという見方もできる)。
またファッション性でピストルズのヒントとなったかもしれないリチャード・ヘル等は、(当の本人たちは否定しているかもしれないが)イギリスのパンク・バンドに多大なインスピレーションや影響を与え、世界的なパンク・ロック・ムーブメントの先駆けとなったと思う。

※ここではロンドン・パンクの衝撃や、ピストルズで書いたマルコム・マクラーレンについてはあえて触れない。
いわゆるハードロックやプログレッシブ・ロックのミュージシャン達とは異なり、彼らは長い曲や高い演奏力とは異なるアプローチによって面白い物を作り出していたからだ。
ニューヨーク・ドールズは、非常に注目を集めたバンドではあったが、アルバムを聴いても決して演奏が上手いとは言えない。しかし、それはピストルズでも起きた現象だが、「演奏力が高くない」事が当時の若者に「俺達でもミュージシャンになれる。バンドをやれると自信を与えた。」という結果を引き起こすきっかけになった事を「ニューウェーブ」として登場したミュージシャン達がインタビューで答えている事を考えると面白いと思う。
(本人達がどの様に思っていたのかは謎だが)ニューヨーク・パンクと呼ばれる主なアーティストは以下。
ラモーンズ、テレヴィジョン、パティ・スミス、トーキング・ヘッズ、ブロンディ、ジョニー・サンダース(ザ・ハートブレイカーズ)、リチャード・ヘル(ザ・ヴォイドイズ)、デッド・ボーイズ、スーサイド 等。
もちろん米国パンクの雄ラモーンズとテレビジョンではバンドイメージ、サウンド的にも全然違うし、他のバンドも同様に違うためパンクとはいえイギリスと米国の比較そのものがあまり意味は無いかもしれない。
しかし、強いて言えば社会への強烈な反抗心、衝動性、凶暴性、破壊性を孕んだイメージのピストルズ、クラッシュ、ダムド等のロンドン・パンクに比べテレビジョン、トーキング・ヘッズ等のニューヨーク・パンクには獰猛な印象は無く、衝動性や感情を直接的な暴力性のあるサウンドではなく、研ぎ澄まされた感性やクリエイティブなサウンドで表現しようとしていた事が違いであり特徴といえるかもしれない。
ラモーンズは、サウンド的に曲もコンパクトで短くキャッチーなメロディーで疾走感がありロンドン・パンクに近い要素も多いが、ジョーイ・ラモーンの長髪、甘い声、ラブ・ソングもある歌詞から考えてみるとなんとなく違いがわかる・・・だろう。
テレヴィジョンのトム・ヴァーレインが、もともとカントリー、ブルーグラス、ブルーズのライブハウスとして1973年にオープンした「CBGB」というバーのオーナー説得したという説もあるが、結果的にCBGBは、ラモーンズ、テレビジョン、パティー・スミス、トーキング・ヘッズ等のラディカルな若手バンドの拠点でありデビューへの登竜門としてニューヨークの最もホットなライブハウスへと変貌した。
またCBGBと並びニューヨーク・アンダーグラウンドシーンの舞台となっていたライヴ・ハウスに「マクシズ・カンザス・シティ」がある。
CBGBを拠点として活躍していた彼らは、大量消費の一環としての産業ロックにノーを突き付け、個性的で前衛的なロックを生み出すことになる。
その後、イギリスのパンク・ニューウエーブシーンと連動するような形で、米国でもニュー・ウェイヴ、前衛的なノー・ウェーブ等へ変化していく。

上記の個々のバンドをすべて掘り下げるのは、困難であるため、ニューヨーク・パンクの源流となったヴェルヴェット・アンダーグラウンド、そのアーティスティックな流れを引き継いでいたテレビジョンを見ていこう。
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■ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

ニューヨークが生んだ異端のロック、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド。(略してヴェルベッツとも言われる)
サウンド的には、バンド名(アンダーグラウンド)が表すようにまさにアングラで実験的(アヴァンギャルド)で、ノイジーでポップ・・であったためか、あまりにも時代を先取りしていたためか商業的に大成功はしませんでしたが、一部熱狂的なファンとフォロワーを生み出しました。
1964年にルー・リード(Vo、G、1942/3/2 - 2013/10/27)とイギリスから音楽を学びにきていたジョン・ケイル(Viola、B)と出会って意気投合したのがバンド結成の発端。
※ジョン・ケイルインタビュー 2016/8(Blue Note Tokyo)
http://www.bluenote.co.jp/jp/news/interview/7609/1965年頃にスターリング・モリソ(G)、モーリン・タッカー(Dr)が加入しヴェルヴェット・アンダーグラウンドとして活動を始めます。
ちなみにバンド名はSM小説のタイトルから付けられたという話があります・・。
彼らの演奏を見たアンディ・ウォーホルに認められ、ウォーホルのプロデュースの下でのデビューアルバムの制作が決定します。
ウォーホルの提案によってニコがヴォーカルとして加入し1967年にファーストアルバム「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」をリリース。
このアルバムは、ウォーホルがデザインしたバナナジャケットで有名で、「バナナ・アルバム」とも呼ばれ全米チャートでは171位とマイナーなヒットでしたが、ヘロイン、毛皮のヴィーナスなどドラッグ等の反社会的な内容を持った作品は一部で高く評価されました。
ウォーホルとの関係を断ち、ニコが脱退した後に1968年セカンド・アルバム「ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート」をリリース。
ファーストよりノイジーでフリーキーな作品となっており大作「シスター・レイ」など強烈な曲が入っています。
このアルバムは後のパンク・ニューウエーブ、オルターナティブなどに多くの影響を与えた重要な作品であると思います。
しかし、リードとケイルの音楽性が激しいぶつかった結果ケイルが脱退することに・・。
1969年のサード・アルバム「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドV」をリリース。
ケイルが脱退した影響かセカンドと違い叙情的な面が目立つアルバムとなっています。
1970年アルバム「ローデッド」をリリース。
「スウィート・ジェーン」や「ロックンロール」といった他のミュージシャン(モット・ザ・フープル、ランナウェイズ等)にカヴァーされた名曲が入っています。しかし、音楽性や人間関係のもつれからか・・リードが脱退。
1973年ラストアルバム「スクイーズ」をリリース。このアルバムがリリース後バンドは解散。

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは、一部のロックファンの間で非常に評価が高く様々な音源が発掘、リリースされています。
1990年代に何度か再結成を行い1996年にロックの殿堂入り。
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■テレビジョン

テレヴィジョンは1973年に結成。
トム・ヴァーレインの文学的な色彩の濃い歌詞や、異彩を放つ濃密なテンションの演奏などにより、他のバンドとは一線を画すバンドでした。
初期は、リチャード・ヘル(ハート・ブレイカ―ズ、ヴォイドイズ)も参加していたことでも知られいます。
1975年にリチャード・ヘルが脱退し後任ベーシストとして元ブロンディのフレッドが加入します。ライブを中心に活動を継続し、「リトル・ジョニー・ジュエル」「マーキー・ムーン」等を作り上げていきます。
代表作は、1977年にリリースしたファーストアルバム「マーキー・ムーン」です。
アルバムは、アメリカのみならずヨーロッパにおいても、高い評価を受けました。
独特のサウンドや演奏で強烈な印象を与えるアルバムとなっています。

1978年セカンドアルバム「アドヴェンチャー」をリリース。
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1992年、14年ぶりに再結成されサードアルバム「テレヴィジョン」をリリースします。再結成ライブも行ない話題となりました。その後は、解散・再結成を繰り返しながら活動しています。

圧倒的な初期の頃(1978年)のライブ音源。


ニューヨーク・パンクシーンを堪能できる一枚。